ブッチャー岡野
(文責・ボーン助谷)
何故ブッチャーと呼ばれるかはプロレスファンなら一目瞭然、アブドーラ・ザ・ブッチャーが初来日した時とほぼ同体格の持ち主で、しかも瓜二つであったからである。おそらくロックバンドのマネージャーで史上最大を誇っていたであろう。とにかく大きい。高校時代に「相撲部屋からスカウトにきた」という噂はあながちウソではあるまい。女の子から言わせると「カワイイ縫いぐるみのクマさんみたい。大きくて暖かそうで優しそう」その通りなのだが、我々には身震いするような怖い一面も見せる。そうじゃなくちゃやってられないわな。ははは。
Daddyと同じ高校の同級生で、当時フォークを歌っていたという。気が向くと弾くスリーフィンガーは上手かった。ちなみにDaddyは野球部。
酒も底なしで酔っぱらったところを見た事が無い。思い出すのは、居酒屋で皆で飲み当然私は先にハテ、しばらく眠って目を覚ますと岡野の両サイドにベロベロのDaddyと三郎がいた。しかも三郎は岡野の二の腕を結構マジで殴り続けている。
「岡野ぉ。この野郎。ぎゃははは。岡野ぉ。ぎゃはは。」
「いいかげんにしろよ三郎」
「バカ野郎。岡野ぉ。ぎゃはは」
なんだこの光景は。と思っていると
「三郎!いいかげんにしろ!」
言うと同時に岡野が三郎の二の腕を殴った。声も出ず、三郎は立ち上がり、飛び跳ねている。岡野とDaddyは何事も無かったの様にまた喋り出し、あの頑丈な三郎は、しばらく痛さをこらえて飛び跳ねていた。ガマンにも限度ってもんがあるんだよ。三郎君。
いつも頭から湯気立てていたのが印象的(怒っているいる訳ではない)で、当時一番大きかったコーラの瓶を常にかかえていた。なんでも美味しそうに食べるのだが、1回の量はさほど多く無く、回数で勝負してた。特にウマそうに食べていたのが「ゆで卵」。ドライブインや立ちソバ屋で、一度に5〜6個、素早くキレイに食べていた。芸術的ともいえるその手際は、まず卵を小刻みにリズミカルにまんべんなく割り、あっという間に殻をむき、塩をまんべんなく振りかけ口へと運ぶ。と同時に次の卵を割り始める。といった一連の動作が流れる様に進んで行く。メンバー一同、廻りにいたお客さんも、思わず「ゆで卵」を注文してしまう程おいしそうに食べていた。
「ゆで卵好き?」
「好きだよ。家だと1パックは一度に作って食べるよ」
まいりました。ごめんなさい。
参りましたと言えば、昔私のオンボロ車の助手席に彼を乗せ、ツアーに出た事があった。一晩中私が運転し、彼はダッシュボード下の物入れに片足を掛け、かなり窮屈な体勢だったとは思うが熟睡していた。朝皆で飯を食って車を見てビックリ。スチール製の頑丈な物入れが変形している。彼に言わせると「何言ってんだよ。ポンコツで前からこんなだろ?曲がる訳ないじゃん」そうであって欲しいよ。又ある時、同じ車で彼を送って行き、別れ際に何を言ったか忘れたが、ちょっとからかった。彼は振向きざま左の拳でボンネットを殴った。
「岡野!壊れたらどうすんだよ!」
「あはは。壊れる訳無いじゃん!大袈裟だなぁ」
助手席にいた三郎も
「すけちゃんオーバーだよ。あはは。あー!へこんでる!」
「なにー!あー!へこんでる!」
ボンネットの波形の一番硬いところが少しだがへこんでいた。岡野いわく
「何言ってんだよ。ポンコツで前からこんなだろ?へこむ訳ないじゃん。あ〜痛い。あはは。じゃあね」
彼と争う事はしない方が良い。
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