なかよし三郎

(文責・ボーン助谷)

普段は誰とでも仲良くなる好人物だが、ある境を過ぎると「怪獣」に変身する困った生物である。

「アツガリ・でぶトリオ」の親玉である。初めて会った真冬の夜、彼はハダシに下駄、寒いと言いながらセーターを腕まくりしており、下は半袖のTシャツだけ。コートは持っていなかった。見ただけで風邪をひきそうになった。「扇風機付けっぱなしで死ぬ奴いるじゃん。あれ信じらんねぇよ。」彼は6〜9月の間、扇風機無しでは寝られない。あんたの方が信じられない。

信じられないと言えば、三郎のオヤジ。ある夏の午後5時過ぎ、初めて彼の家に遊びに行った。家では父上が、風呂に入るのかフンドシ一丁で出迎えてくれた。セガレの三郎が父上に

「おぅ。友達のスケちゃんだよ。」

父上振り向いて

「おぅ。スケちゃんか。何にも出すもんねぇからよぉ。」

と言って大きな音とともに白いフンドシが揺れ、父上は去って行った。初対面の私は目が点になった。

最初はギターを弾いていたようだが、中学からの親友「寺中名人」にダマされベースに転向。トーン全開、やたら硬い音でベースを弾いていたのはギターに対するコンプレックスだったのかもしれない。しかも女・子供では弾けないくらいの弦高だった。力もハンパじゃない!というか加減を知らなかった。冬の大阪で走行中の楽器車(ハイ・エース)の窓を開けようとして、カタいのを力任せに開け破壊。段ボールにガムテでその場しのぎはしたが、東京へ帰る深夜の高速道路で何度もハガレ寒くて死ぬかと思った。彼は酔ってはいたが窓側で豪快に寝ていた。

真夏のクソ暑い富田林(大阪)の友人宅で宴会になり、先にハテた私は、据え置き縦型お座敷クーラーのある6畳の部屋の隅で1人寝た。寒いので起きるとそこには「アツガリ・でぶトリオ」がオールスターで寝ようとしているではないか。「マズイ!」と思いながらもよく見ると三郎がパンツ一丁で「暑いよぉ〜暑いよぉ〜」と寝ぼけながらクーラーに抱きついていた。Daddyが三郎の腹をさわって大笑いし始めた。

「ギャハハハ!三郎の腹凍ってるよ!」

私も触ってみると確かに氷のように冷たかった。岡野と3人で大笑いしながらも私は本能的に、部屋にある全ての寝具をかき集め防御態勢に入った。三郎はまだ寝言のように「暑いよぉ〜暑いよぉ〜」を連発している。三郎はホッテおいて俺、Daddy、三郎、岡野の並びで3人は寝た。朝、Daddyと岡野が鼻をすすりながら

「三郎のバカ野郎!寝て寒いもんだから何度も風向きオレの方へ向けやがった!何回も三郎に向けたのによぅ!」

「オレも同じだ!死ぬかと思った!」

クーラーの真ん前で三郎はパンツ一丁で小さくなりながら寝ている。昔のクーラーは死ぬ程ひえたが、裸同然でもクーラーを止めなかった3人も大した奴らだ。私は4人分の寝具をまとい奇跡的に朝を迎える事が出来た。

この手の話はいくらでもあるので、「命拾いコーナー」を作り、3人に猛反省をして頂きたいと思う。

褒め言葉はこのくらいにして、彼の器用な所も紹介しよう。

キャバレーバンドで鍛え上た甲斐あって、あの風体ながら譜面の読めるおとぼけの中でも群を抜いていた。当時レパートリーを譜面に残すバンドはいなかったハズである。一時キャバレーバンド3つ掛け持ちしていたと言うから大変なモンである。そこでピアノ、フルート、サックスまで覚えたようだ。

おとぼけの大道具、小道具はほとんど三郎がベニヤ板買って来てトンテンカンと作っていた。彼の力作の【ギター】をDaddyが簡単に壊すので

「Daddy!バカ野郎!壊すんじゃねぇよぉ!作んのテーヘンなんだからよぉ!」

「ワリぃ、ワリぃ。さぶちゃん器用なんだから又作っといてね。」

「バカ野郎!丁寧に扱えよな!」

「ほんじゃぁ頼むわ。」

「しょうがねぇなぇ〜」

仲のいいバンドである。

また彼は宴会の時に、私にとって掛け替えのないパートナーでもあった。ここでは詳しく書けないが、2人で場を盛り上げた後でなぜかDaddyが「団の面目丸つぶれ!」と口にしているのを聞いた事がある。私達2人には未だ謎である。